なぜ今日だけ私の名を呼ぶのか~卒園アルバム撮影の日~
昔々、幼稚園児の時、卒園アルバムの撮影があった
たくさんの先生たちが、カメラの向こうから
満面の笑顔で私の名を呼び続けた
でも私は笑わない
結局、園長先生が私のおなかをこちょこちょしてきて
私は身体をくねらせながら、はにかんだように笑い
その瞬間を撮影された
だから私の卒園アルバムの写真は
身体を斜めにくねらせ、はにかんだ微妙な笑顔である
私はその日
「どうして先生たちは、今日は笑ってくるのかな?」
「どうして先生たちは、今日だけ私の名前を呼ぶのかな?」と、いつもと違う先生たちの様子先を感じながら
教室へ戻った
そんなふうに私の名前は呼ばれたりしないからだ
おとなしい私は、いつも教室の隅にいた
幼稚園の遊具で遊んだことは一度もないし(勇気がなくて近づいたこともない)先生に話しかけたこともないし、
触れたこともない
でもたった一人だけ、おとなしかった私に
話しかけてくれた先生がいた
どんなに元気な子たちが、先生を囲んでいても
その先生は、一日のどこかで私のところにきて
いつもやさしく名前を呼んでくれた
年少組だったときの担任の先生
いまでも、先生のやさしさをふんわりと覚えてる
やさしい笑顔もふんわりと覚えてる
自分から話しかけることはできなかったけども
もしあの写真撮影の場に、先生がいてくれたら
私は少しだけ、安心して笑えたのかもしれない
年長組になった頃、その先生は辞めてしまって
新しい担任の先生になった
新しい先生は元気な子だけに話しかけて、私のようなおとなしい部類の子のところへ来ることはなかった
私はその先生が元気な子たちに、笑いかけてる横顔は思い出せる
でもその眼差しは私に向けられることはない
でも私は年少組の先生のやさしい眼差しを覚えてる
先生はきっと今でもやさしい眼差しをしている
幼稚園の頃の気持ちまで覚えてるとか
自分は変なのではないか?とずっと思っていたけど
INFP型かつHSPと分かってからは
だから色々覚えてるのか!と納得できた
他にもいろんな記憶が残っている
幼稚園の遠足でおにぎりを砂の上に落としてしまったときの絶望感からの、周りに声をかけられて注目されて恥ずかしいやら不安やらでついに泣き出した気持ちとか(そのときの砂のじゃりじゃり感まで)
ここで言葉にして
心にある小さな物語を外に出していけたらいいな