美空ひばりさんのAI それは、ひばりさんが望んだことなのか
死者は大切な人の心の中に生き続ける。
もらった言葉は心にあり続ける。
人々は心の中で、その人がくれた言葉たちと対話をする。
私は美空ひばりさんの「川の流れのように」を時々ピアノで弾く。
美空ひばりさんの歌は、子どもの頃に昔の映像で観た。その想いを、ちゃんと受け取った。
だから、今でも弾きたくなる。
美空ひばりさんのAIは、ひばりさんの知らない未来の曲を歌って、曲の合間に私たちに語る。
「お久しぶりです。あなたのことをずっと見てましたよ。がんばりましたね。さぁ 私の分まで まだまだがんばって」と。
人々を癒す美しい物語になる。
たくさんの人の知識と技術と努力が合わさって、ここまで完成した作品だ。
あの作品に励まさせた人もたくさんいる。
ひばりさんに会えたと涙を流す人もたくさんいる。
いろんな考え方がある。
NHKでも、「死者への冒涜ではないか」「生と死の境目が曖昧になり混乱する事態が起こるのでは」みたいな意見もあることを紹介していた。海外では、大統領のフェイク動画で悪用例もあるとのこと。
「AIは、使い方を間違えると怖い技術だけど、今回は価値のある使い方ができた」と制作者は語っていた。
私は、美空ひばりさんの意志のないところで、まるで意志があるようにされていることが怖かった。
特に語りのところ。
あの言葉は、「ひばりさんからの語り」ではなく、「ひばりさんから現代の日本人に語りかけてほしい望みの言葉」だ。
死者との対話という個人の心の領域に、AIが足を踏み入れてきたことが、とても怖く感じた。
人は快楽を体験すると、もっとほしいと求めてしまう。
美空ひばりさんのAIが価値のある使い方だとするならば、もっともっと欲しくなるだろう。
あのような形で、自分の知らない未来の曲を、自分の声を学習したAIが歌うこと。
それは、ひばりさんが望んだことなのか。
本当に大切なものは形がないもの。
「川の流れのように」をピアノで弾いて、やさしい気持ちになる。
時を越えて、ひばりさんからなにかを受け取っている。
それでいいんじゃないかな。